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いとも短き文芸時評:乗代雄介『旅する練習』

5/19/2021

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文学フリマにむけて書いていた作品の入稿が終わり、山のように資料が積み重なった机上を片付けていて、ふと読みたくなった本がありました。乗代雄介さんの『旅する練習』です。
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宝石はその小ささゆえに

芥川龍之介賞は次点(受賞は宇佐見りん『推し、燃ゆ』)、そして三島由紀夫賞を受賞した作品です。帯が資料の山にまぎれてどこかへいってしまったのでうろ覚えですが、「歩く・書く・蹴る ロード・ノベルの傑作」みたいなキャッチコピーが付されていました。

 余談ですが、僕はこのくらいの分量(原稿用紙二百枚前後くらい)の、短編一作品からなるハードカバー書籍がとても好きです。なぜなら、この空間に対して余白の多いコンパクトさは、ほとんどそのまま純文学で書く若手作家の可能性そのものだから。
 純文学における新人作家の登竜門とされる芥川賞は、主に中・短編をその審査対象としています。それに合わせたのであろう各文芸誌の新人賞も、おおむねこのくらいの規定枚数になっています。いっぽうでベテランになると長いものが増えたり、短編集として編まれたりと、こうした小品はあまり出版されなくなるように思います(たとえば村上春樹さんは、デビュー後数作で長編に移行していったために結局芥川賞を獲らずに終わった、なんて言われることもありますね)。ですから、この小ささ・薄さはとても象徴的なもの。「あえて本にしている」というか、若手作家のみずみずしく荒削りな才能を、出版社が大切に送り出しているような気がして、手にした時に読者として新鮮なよろこびがあるのです。あるいはそれが、脱稿直後の僕自身の気分とも符合していたのかもしれません。

閑話休題、内容についてです。
帯に「ロード・ノベル」と書かれているのだから、もちろんロード・ノベルなはずがない、そう思って読み始めたのでした。
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ロード・のべらない

小説家の「私」は、中学受験を終えたばかりの姪・亜美とともに、我孫子から鹿島へ向かって徒歩の旅をはじめます。鹿島といえばJリーグクラブ・鹿島アントラーズのホームであり、日本におけるサッカー文化を開花させたはじまりの街。サッカー少女である亜美がかつてそこへ合宿にゆき、ある「忘れもの」をしてきたことが旅のきっかけでした。利根川沿いの堤防を、亜美はドリブルをしながら、そして「私」はおりにふれ野鳥の生態や過去の文学者への追想をまじえた紀行文を書き留めながら、いっしょに歩いてゆくのです。

アントラーズに、そして日本のサッカー人に、選手としてのプロフェッショナリズムを根付かせたのは、ほかでもないアルトゥール・アントゥネス・コインブラ、すなわちジーコでした。作中でもこのジーコと、日本中を歩き回って旅をした民俗学者・柳田國男のふたりの言葉がたびたび引用されます。両者に共通するのは「忍耐」ということですが、それについて印象的な表現を引用してみます。
そして、本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと私は知りつつある。(中略)この旅の記憶に浮わついて手を止めようとする心の震えを静め、忍耐し、書かなければならない。後には文字が成果ではなく、灰のように残るだけだろう。(p.104)
その影を残すことが、私にとっては鮮やかな記憶を文字で黒々と塗りつぶすことだとしても、死が我々に忘れさせるものを前に手をこまねいているわけにはいかないのだ。書き続けることで、かくされたものへの意識を絶やさない自分を、この世のささやかな光源として立たせておく。そのための忍耐と記憶——(中略)「人生には絶対に忘れてはならない二つの大切な言葉がある。それは忍耐と記憶という言葉だ。忍耐という言葉を忘れない記憶が必要だということさ」(p.130)
前者は柳田國男の、後者はジーコの言葉を受けたものです。物語の結末にかかわるので、その意味について詳述することは避けますが、しかしこの表現は、僕に次の歌を思い起こさせました。
ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき (藤原清輔)
生きながらえていれば、現在のことも懐かしく思い出されるのであろうか。辛いと思っていたあのころのことが、今では恋しく思われるのだから。
新古今和歌集に採られ、百人一首にもおさめられている有名な一首ですが、僕は昔からこの歌がとても好きです。追憶のもたらす繊細なセンティメントと、平安人らしい長閑なオプティミズムが溶けあった、なんとも高雅な詠みぶりだと思いませんか。
 こうしたノーブルな態度は、単純に「生きられる」ものというよりも、「書かれる」ことによってはじめて意味をもつものであるような気がしています。運命に身を任せるのではなく、かといって悲嘆に暮れるのでもないとすれば、それは記憶され、詠まれ=口にされ、書き留められることによってはじめて楽観論たりうる。それが生の現実とのつながりを保ったまま、同時に現実を超え出てゆくような強靭さを獲得するためには、そこに明確な「意志」の発露がなければならないように思うのです。本作品の題にある「旅」とは、畢竟この「意志」のことではないかと僕には思われます。その意味で、やはりこの物語はロード・ノベルではなかった。茫洋とした道のひろがりを「前にした」小説、まさに「旅する練習」にほかならない。


だとすれば、それは外出を封じられ、うつりゆく世界を前にしながらどこへも旅することができずに自室で「忍耐」を迫られているわれわれにとってぴったりな小説なのかもしれません。


芥川賞の選評では、人物造形の難や、形式を束縛している作者のナルチシズムが問題にされていました。そうした部分についてはいったん措くとして、「現代小説」の試みとして面白いなと思ったので、記事にしておきます。

ひさしぶりのブログなので、今日はここまで。
それではごきげんよう。
石田幸丸(習作派編集部)
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