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文芸書評:【滝みゅぅ】「りんごは木から落ちない」より『ユートピア』

11/27/2020

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早くも第3回目です。
 
今回は(実は参加していた)文学フリマ大阪での戦利品の中から、滝みゅぅさんの『りんごは木から落ちない』のレビューを書いていきたいと思います。

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全3篇の短編小説が収められた短編集ということですが、まず、表紙のイラストはおそらく手書きです。やさしいタッチのりんごが直感的にそのまま描かれています。

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あとこのチュッパチャップスもいただいたんですが、この女の子も自作ですね。名刺にもキャラクターのイラストが印字されていました。イラストと文章、双方で活動されているようです。うまい。そしてかわいい。
 
表紙をめくると、こんな文が現れます。


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重力が弱まり、今まで地面に縛られていたものたちがふわりと浮かび上がる。だんだんと高さを増して、陽の光に照らされながらゆっくりと回転し、次第に雲に手が届きそうになってーー。
 
 
 
情景が浮かんでくるようですが、そんな中、「足枷」という単語が際立っています。表紙のデザインやイラストのタッチを見るに、こんなネガティブに寄った単語を使うのは危険ではないか?そんなことを思っていると、机の上の名刺の文字が目に入りました。


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「人の美しさと醜さをやさしく描いた作品を作っています」




なるほど、どうやらこのタッチも作戦のようです。すっかり術中に嵌っていたようでした。
俄然楽しみになりながらページをめくります。




​

S F × ファンタジーのプロット




ひとつめの短編『ユートピア』について見てゆきます。
 
 
 
舞台は近未来、タイトルから「Big Brother Is Watching You」的な世界観を想起しましたが、目に見えたディストピア要素はありません。伊藤計劃『ハーモニー』、野崎まど『タイタン』の世界よりも前、テクノロジー面で同定するなら森博嗣『100年シリーズ』くらいでしょうか。
車が空を飛んでいるので『ヒトリノ夜』よりは後ですね(歳がバレる)。
​
文明がうんと発達したこの時代では、人が一生懸命働く必要はない。大抵の単純な仕事は機械が代わりに作業をする。


未来を描写する場合、どうしてもサイバーパンク的な言い回しや単語を使いたくなるものですが、『ユートピア』にはそれがほとんどありません。例えば上記の文の場合、僕だったら「機械」ではなく「代替(alt.)」とかそれっぽい名前を勝手に付けちゃうと思いますが(ダサいとか言わないで、これが限界)、滝さんは「機械」は「機械」として書きます。
 
 
 
平易な文、わかりやすい単語で描かれる未来は、S F感の蔓延を抑止し、イラストのテイストとも似たファンタジー的な世界観を醸し出します。この点は最後まで徹底されており、詳しくは後述しますが、主題との親和性も非常に高いです。冒頭の裏切りといい、かなりテクニカルな作家さんですね。





​

「信仰」と「科学」の代理人として




物語に視点を戻しましょう。主人公は「解体人」という、既存の建物から資材を取り出す仕事をしています。非科学的なものを信じず、少し理屈っぽい性格をしています。
彼は世界に残る最後の教会の解体を請負います。信仰は廃れており、彼は神というものを信じる文化で育ってきていないためそのありようを想像することしかできないものの、馬鹿馬鹿しいと一蹴するでもない。
 
 
 
職場に着くと、上司から教会に関する不思議な噂を聞かされます。誰も住んでいないはずのその教会に明かりが灯っていたというものです。上司は面倒ごとを主人公に押し付け笑いながら去ってしまう。
 
 
 
教会に赴くと、やはりそこには誰もいません。しかし確かに蝋燭に火が灯っていました。1日待ってみるも現れる人はおらず、2日目に主人公は燭台の火を消し、また灯しにくる人物を待つことにします。
待っている間に、彼はある行動をとります。

​
僕は深呼吸をしたのち、今にも崩れそうな乱雑に置かれているベンチを、ひとつひとつ綺麗に並べ始めた。その行動に意味はなかったけれど、何となくそうしなければいけない気がした。


僕たちが同じ状況なら、人によっては同じような行動を取るかもしれません。しかし彼は信仰というものと全く無縁の人物です。
彼の目線を通して、教会が美しい姿を取り戻す様が描写されてゆきます。金や銀の装飾に加え虹色の光をもたらすステンドグラスまで、彼は丹念に掃除します。ついた時降っていた雨は止み、いつの間にか月光が祭壇の女神像に注いでいます。
 
 
 
とても美しいシーンです。
「イタリアやフランスの閑静な教会は信仰心がなくても神を信じそうになってしまう」と昔教師が嬉しそうに話していたのを思い出しました。彼もきっとそういう心境だったのでしょう。



けれども彼はただ黙々と、しかし慎重に室内の至る所を掃除してゆくのみです。このシンプルさが、のちの展開に非常に効いてくる事になります。
 
 
 
すっかり夜も更け、彼がベンチに腰かけると、突然扉が開き、修道女が入ってきます。彼が思った通り再度火をつけに来たのでした。修道女は整頓された室内を見て驚き、そして落胆します。彼は解体人なのです。
 
 
 
彼と修道女の会話の中で、信仰についての問答が行われます。そこには確かに温度差があり、平行線に見えるも、時折彼は言葉に詰まります。何かを言いかけ、言葉にしようとすると、頭に靄がかかったような感覚に陥る。
 
 
 
修道女は現代の科学に疎く、対話の中で男から様々な情報が開示されます。自然材料を流用し新たな建物を作ること、成人の日に「身体管理機関」から適職を言い渡されること、そして右手に埋め込まれる小さなチップのこと。
チップは生命維持の機能に加え、過度な感情を抑制する機能も有しているといいます。アニメ『PHYCHO-PASS』等でも見られる設定ですね。対話の中でぽつりぽつりと、ディストピアの質感が残されていきます。
 
 
 
単なるファンタジーに留まらないための、必要な仕掛けです。綺麗な装飾が施された小箱を手に取ってみるとずっしりと重く、不思議に思い蓋を開けると歪な鉛の塊が入っていたような、そんな異質感があります。
 
 
 
修道女の誘導から、チップが男の頭の靄を生んでいると暗に示されています。
チップの導くまま間違いなく穏当な生活を送る現代の人々と、楔から解き放たれている修道女。
読者の脳裏には、巻頭の詩が焼きついたままです。
 
 
 
チップを持たない修道女は受肉した女神そのものだったことが静かに明かされ、男の口は噤まれます。女神の涙は彼が初めてみるものでした。女神はこの教会で終わることを望み、男は小さな掘削機を取り出し、おそらくは直前まで女神像を見つめ、そして自分の右手に突き刺します。
 
 
 
女神は驚き駆け寄り、纏ったローブが血に染まりますが、男の顔は対照的です。
 
​
でもその時僕はとてつもない幸福を感じていた。言葉で例えることのできない色鮮やかな感情が全身を駆け巡る。電気信号のような刺激。
それはかつての人々が日常で感じていた幸福なのだと感じた。

生まれて初めての経験にも関わらず彼がそれを甘受したのは、それが余程心地よかったからでしょう。




​

人間的な「神」と人間性を得た「人間」




​場面はかわり、男は怪我をしたものの事なきを得、仕事をやめることとなります。「機関」が決めた最適な道を逸れることを選択したのです。
教会は解体が決まったものの、女神像だけは彼と女神の小さな新居に移されていました。彼と女神の会話がなされ、女神はギリシャ神話の神々のようなとても人間的な話し方をします。
 
 
 
教会での対話の最中から、この片鱗は見えていました。信仰者からの承認欲求であるとか、男に対して声を荒げるといった行動もそのあらわれであるように感じます。人間性を勝ち得た主人公にこの女神が寄り添って生きていくことで、彼が人間としてのユートピアを気付くことが示唆され、幕となります。
 
 
 
実際に読んでみると、名刺にあった「美しさ」「醜さ」「やさしく」の全ての点において、確かに網羅されているという印象を受けました。大前提として、狙い通りの読みをさせる手腕はお見事です。
 
 
 
ただ欲を言うなら「こんなふうなのも読んでみたかった!」という点がいくつかあったので、勝手ながらここに書かせていただきます。
 
 
 
まず前述のSF感の排除という点について、狙いは的確に達せられていると思います。未来設定が主人公の人格に、ファンタジー要素が女神の存在に対称化させられている構造は見応えがありますが、「空飛ぶ車」は直接的すぎるかなと感じました。「空飛ぶ車」に乗り慣れている主人公の一人称視点でそれを目の前にして「空飛ぶ車」と呼ぶのはちょっと抵抗があります。「車は僕が降りると音もなくきた道を戻って行った」くらいなら世界観も設定も守られるかなと思いました。
 
 
 
次に対話の中で出てくるディストピア要素です。書いた通り必要な部分ですが、男の説明という形で大きく2箇所に固まってしまっている関係でどうしても説明的になりすぎているきらいがありました。僕も自分の書くものが理屈っぽいとか説明くさいとよく言われるので難しさはわかっているつもりですが、最終部分以外の全体に説明セリフを分散できると世界観が補強されると思います。
 
 
 
最後に、これは完全に希望なんですが、男の掃除するシーンをもっと書いて欲しかった!!非常に象徴的なシーンで、最終的に男がチップを破壊する動機とでもいうべきものが「何となくそうしなくてはいけない気がした」には込められているはずだと思ったので、より丁寧な描写と、チップ破壊の際に部屋見渡してくれたりしたらもう最高!!と叫んでいたかもしれません。
 
 
 
しかしとにかく、世界観の醸成と女神のパーソナリティについては戦略とアイデアの勝利と言わざるを得ません。イラストのタッチ、文の柔らかさ、言葉のチョイス、全てが「醜さ」と反比例するこの構造は、滝さんだからこそ構築できる世界観であると僕は思います。あとあんな女神はなかなか書けないですよ、少なくとも僕には書けない。
 
 
 
余談ですが、短編集3つのうち、この『ユートピア』と『白き谷』は対照構造になっているのかな、とも感じました。前者が希望の中の暗さ、後者が暗さの中の希望、というような対比です。
 
 
 
というのも(『白き谷』に関しては書けなくて申し訳ないんですが)、『ユートピア』の最終部分はこうなっています。

埋め込まれていたはずのチップは破壊され、もう僕を縛りつけない。身体管理機関では僕が死んだことになっているのかもしれない。チップの情報がなければ、彼らは僕のことなど何一つわからないのだから。

一読して「チップの反応消えたら捜索始まっちゃうんじゃね?」と思っていたところにこのセンテンスだったので、逆に意味深に思えてしまったんです。女神との新しい人生を歩み出すところで終わっていますが、すぐに見つかってチップを埋め込まれてしまう、みたいな。
 
 
 
でも今書いてて思い直しました。ストレートに未来への憧憬で締めている方が綺麗ですよね。「醜さ」は世界観ですでに表れているわけですし、ここでわざわざ仄暗さを出す意味はありません。穿った見方しすぎていました。もっと清らかな人間になりたいです。




​

短編集として




3つ目の短編、『告白』は、個人の語りの体裁をとっています。普通に見れば、滝さんの告白、ということになるでしょう。
 
 
 
この掌編は、他2編と明らかに熱量が違います。異彩を放っている、と言ってもいいでしょう。迂遠な物言いを避け、まさに『告白』の名の通り、真っ直ぐな心情の吐露のみが書かれています。
 
 
 
『告白』ですので、あまり声を大にして言っていいものではないかもしれませんので内容に関しては伏せさせていただきますが、この『告白』、そして巻頭の詩全て合わさって短編集が完成しているように感じました。この技巧は素晴らしいの一言です。
 
 
 
なんか単にあらすじ書いてうだうだ言ってるだけになってないか心配ですが、全編、とても楽しく読ませていただきました。
次号あったら絶対買います。
 
 
 
 
 
 
 
……と、そろそろ編集会議なので今日はこの辺で。
ではまた。

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