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同人誌評:『ビジネスファミチキ』(ビジネスファミチキ)【前編】

12/9/2016

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怒涛の日々が終わって、ようやく穏やかな時間です。
ここのところ大学院の研究が忙しく、完全に心と時間の余裕を失っていました。


今は、夕方の空に白く浮かぶ月をみながらこの文章を書いています。
……などとキザなことを恥じらいもなく表明してしまうあたり、
なかなかセンチメンタルになっているのかもしれません。

​
しかし、そんな僕(石田)の安っぽい感傷を吹き飛ばすような作品に出会いました。
雑誌名は『ビジネスファミチキ』。文学フリマに出展されていた同名の団体さんの作品集で、3人の執筆者がいろいろ寄稿しています。
画像

以下掲載順。なお、()内は僕が便宜的につけた分類です。

『後輩君』(エッセイ):ガクヅケ木田
『初体験の相手』(エッセイ・批評):升本
『ファブリック』(小説):井口可奈
『母』(エッセイ):ガクヅケ木田
『わたくしのしくじり』(エッセイ?):升本
『調布ババア』(エッセイ):ガクヅケ木田

作品数が多いので、それぞれの作者から一作品ずつピックアップしてご紹介します。

​

DTPの美しさ

ところで、この本を開いて思うのは、本文のレイアウトが美しいということ!
文学フリマに出展されていた雑誌のなかでも最上級なのではないか。
僕のサンプル数が少ないのは承知のうえですが、しかしあえてそう言いたくなる。

ちなみに僕の手許の情報だと、デザイン担当者の升本さんは『クライテリア』も手掛けられているようです。
比べてみるとノンブルのあたりのデザインに共通のセンスを感じますね。


『ファミチキ』の表紙のデザインは個性派路線なのですが、本文ページはとても端正で、上品です。

まず紙のセンスがいい。うすい黄色ですべすべしていて、別嬪という感じ。
読んでいるときから「どこかで見覚えのある紙だなあ」と感じていたのですが、まさに今思い立ったのは「岩波文庫」。
あの情緒ある紙をもうちょっと分厚くした感じですね。

フォントの扱いも職人芸の域。
文字どうしの間隔が狭すぎると野暮ったくなって、しかし広すぎると内容に没入する妨げになってしまうものですが、
絶妙なバランスで配置されています。

小技も効いています。
小説系の本のページを思い浮かべていただけるとわかりやすいと思うのですが、
だいたいは紙の中央に縦書きの文字がバーッと並んでいて、
その上か下、紙の端にページ数と作品のタイトルが小さく書いてあると思います。
『ファミチキ』の場合、本文は明朝体で、下のタイトルは細めのゴシック体になっている。
明朝体は格調があって美しいですが、ともすると難解そうな印象を与えてしまいます。
いっぽうゴシック体は現代的・デジタルな印象でかつお堅くなりすぎないので、
併用することで重厚感をほどよく緩和させて、「ビジネスファミチキ」という世界観に着地させているわけですね。


​
すみずみまで独自の美学が感じられるという意味で、商業誌にはない水準に到達しているのではないでしょうか。


それでは、外見のことはこれくらいにして、内容のレビューに入りましょう。
​
​

『後輩君』:ガクヅケ木田

木田さん(僕)がバイト先の天使のような男の子(後輩君)を好きになってしまうラブコメ風のエッセイです。

破調・乱調の美しさというのでしょうか。
木田さんの三作品はどれも面白くてしかも読みやすいのですが、僕はこの作品が一番好きです。


筆者はプロのお笑い芸人としてもキャリアを積んでおられる方で、
「ガクヅケ」というお笑いコンビでマセキ芸能社に所属中だとか。

「お笑い芸人だから」という視点が作品を読むうえでなんの意味もないということは理解しているつもりですし、
​僕自身お笑いについては全然詳しくないのですが、
しかし又吉直樹さんの『火花』を読んだとき同様、やっぱりお笑いの技術というのは文学のそれときわめて近いところで成立しているのではないかと思いました。
「笑わせる」ことと「笑われる」ことをうまく使い分けているような気がするんですよね。


​
『母』と『調布ババア』は、どちらも身の回りの非日常性(ふと気が付きましたがどっちもバ○ア、もとい妙齢のご婦人ですね)を対象とし、
作者は「ツッコミ」的立場でコメントを差し挟んでゆきます。
そしてコメントにおける言葉選びの巧みさによって、対象の非日常性が際立ってゆく。
非日常性を「笑える」ものにすることで読者を「笑わせる」、そんな文章だと思います。




いっぽうで『後輩君』はなんというか、書き手がひたすらボケ倒しているような勢いのある文章です。
LGBTがどうとか、そういった説明への深入りはなされませんし、読者もそうした社会的な文脈は無視して、
ひとりの書き手のちょっと重めな恋愛感情についての告白を読む楽しさがあります。


それでも、その「ちょっとした重さ」がひとつの物語として成立してしまうのは、
「なに男を好きになっとんねん」というツッコミ可能な余地を読者のために残しているからではないか。
後輩君は天使のようにかわいいのだ、と主張する「僕」をみるとき、読者にとってかわいいのは後輩君ではなくてひたすらに無邪気な「僕」へと転化している。

たとえば男性が女性アイドルについて「いかに天使か」を語ったところで
このエッセイほどの勢いも愛嬌も獲得できないのではないでしょうか。
パッと思い浮かぶあたりで小林よしのり氏の文章はたしかに陶酔的ですが、
二人の「熱」のあいだには何か本質的で決定的な差異があるように思われます。


あるいはその差は、体験そのもののリアリティにあるのかもしれません。
「余地(異物感)を残しておく」ということは、そうした社会的な規範からほんとうに「逸脱」し、
現実に傷つき葛藤した(文中にもそうした描写があります)からこそ可能になったのだ、ということです。​
どれほど異物といわれようとも、それは当人にとって紛れもない現実です。
いっぽうでそうしたリアリティをもたない書き手は、読者の視点を内在化してみずから違和感を埋めようとしてしまう。
現実を現実として提出することができず、無意識のうちに「説得」しようとしてしまう。


微細な異物感を核にして、その周りにいろいろなエピソードをくっつけてゆくことで奇妙なリアリティを現出させるという手法は、
たとえば最近芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの『コンビニ人間』にも通ずるところがあるように思います。
「笑われる」ことというのは、書き手と読み手のあいだの本質的な関係に立脚した
ひとつの芸術なのかもしれません。

そして、文中唐突に現れる、

「よろしくお願いします」(p.3)や
「色々頑張ります!!!!!」(p.7)

といった書き手から投げかけられた奇妙な挨拶文を読むとき、
「笑われる」技術はきわめて危ういバランスを保って読者を内容へと引きずり込むのです。


すっかり暗くなってしまったので、今回はここまで。
井口可奈さんの『ファブリック』と升本さんの『わたくしのしくじり』については【後編】でレビューする予定です。
​それではごきげんよう。
石田幸丸(習作派編集部)
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