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同人誌評:『三重吉さんてこんな人』(ばあら)

12/14/2017

2 コメント

 
年の瀬せまる12月、皆様いかがお過ごしでしょうか。
去る11月23日に、習作派は第二十五回文学フリマ東京に参加してきました。
『筆の海』を買っていただいたり、また他サークルさんの雑誌に触れたりするなかで、いろいろと考えたこともあるので、書き留めておこうと思います。

​まずは購入した雑誌のレビューから。第一回はこれまでとちょっと毛色の違うものを。
ふたつ隣のブースで出店されていた、ばあらさんの作品です。

『三重吉さんてこんな人 1』
『三重吉さんてこんな人 2』
『松根東洋城てこんな人』
『鈴木三重吉ゆかりの地めぐりin広島』
画像

『三重吉さんてこんな人』

毛色が違うといったものの、これぞ文フリ、という作品だと思います。
漱石門下のひとりで児童文学者としても知られた鈴木三重吉について紹介したマンガです。

​三重吉の生い立ちや性格、交友関係などを簡単なストーリー形式で追ってゆくのですが、たいへん面白く読みました。一巻は三重吉出生から最初の自著刊行まで、二巻は生涯にわたる友人たちとの交流を主に扱っています。また、無料配布ということで、三重吉の親友松根東洋城をメインに据えたスピンオフ作品『松根東洋城てこんな人』と、文学碑や墓所についての紀行マンガ『鈴木三重吉ゆかりの地めぐりin広島』もいただきました。
 

考えてみれば、歴史上の人物について研究するというのはいかにも不思議なことですね。見たことも会ったこともないひとりの人間について思いを馳せ、残された文章や写真からその生について再構成してゆく。今を生きる他人のことすら(あるいは自分自身のことすら)完全には理解できないのが人間なのに、あえて時間のへだたりを超えて誰かの内面に迫ろうというのですから。
画像

饒舌な余白​

かくいう僕(石田)もまた、大学院ではジャン=ジャック・ルソーという思想家について研究していました。どちらかといえばより思想・哲学的な側面からのアプローチだったので、ルソーの為人についてあまり触れることはなかったのですが、それでもルソーは研究対象である以前に心の友でした(もっとも、現実のルソーはかなりつきあい難いタイプだったようですが)。それは、僕が抱える、この世界についての根源的な問いを、きっとルソーも共有してくれているのだという確信からでした。
 

本作において、ばあら氏は当時のテクストや三重吉自身の書簡などに丁寧にあたっておられ、おそらく国文学研究の正道を踏まえた上での創作なのだと思います。しかしながら、あるいはだからこそ、その描き方にはやっぱり、たんなるコミカライズ以上のもの、作者個人の「根源的な問い」としか言いようのないものが反映されているように思いました。三重吉と森田草平とのあたたかく血の通った友情を描く氏の筆致が、きわめて印象的で胸を打つものだったからです。
​

小宮(豊隆)は君に書け書けと云って迫る相だ。迫る人も一人は無くちやならぬ、僕は待つ人に成ろう。君が書くまでまたう。書かないで――書くことを忘れて、それで尚ほ生きて居られる人間ではないと三重吉を信ずるから僕はあわてない。(『三重吉さんてこんな人 2』森田草平から鈴木三重吉への書簡より)

​寛大というか悠長というか、まあなんとものんびりして気の長い話ですが、僕自身同人誌を作ってみて、なんとなく共感するところもあります。
そこにあるのは、たとえば(再会の約束を果たすために生命を擲ち生霊となって駆けつけるという)『雨月物語』のような苛烈で自己犠牲的な信義とは別の、もっとしなやかな紐帯です。同じ目標へと向かって歩む、あるいは歩んでいると信ずる者たちだけのあいだに生まれる静謐な信頼。言語をあやつるメチエによって藝術家たらんとする文学者たちの、その友情や愛情が、むしろ非言語的に成立していることの――まさしく友情の〈行間〉の――美しさをこそ、作者は描きたかったのではないか。(もっとも、読者ないし編集者としては「書け」と迫ることこそ愛情でしょうから、その点で小宮豊隆もちゃんと親友としての面目を施しているとせねばなりませんね)

金曜日のモナミ

三重吉の友人で、自身も俳人であった松根東洋城が、寺田寅彦と待ち合わせて連句をつくる物語も素敵です。
『金曜日のモナミ』と題されたこのスピンオフ・エピソードにおいて、東洋城は待ち合わせ場所である新宿の喫茶レストラン「モナミ」にふらりとやってくる。そうして寅彦とふたり食事をしながら取り留めのない話をして、一段落したところでようやく連句にとりかかる。店内のざわめきは背景へと遠ざかり、静思沈吟するふたりの時間はゆっくりと過ぎてゆきます。
ややあって
閉会となり、店外に出たときにはもうすっかり夜の帳が降りていた。夜道にふたりは「また来週」「うん、またね」とだけ言い交わして別れる――たったこれだけの淡然たるエピソードですが、やはりそこには語られる以上の信頼と知的な安らぎがあって、あたたかい余韻を引くのです。どちらかがモナミに現れない日が続いても、きっと先でまた会は開かれ続いてゆくのだろうと思わせるような……。ちなみに「モナミ」とはフランス語のmon ami、すなわち「私の友人」という意味ですが、なかなか素敵なタイトルだと思いませんか。
画像
藝術家どうしの、あるいは人と人のあいだの無時間的な交感というのはそれ自体ひとつの興味深いテーマです。それは『菊花の約』における左門と宗右衛門の交情が時間的制約によって際立たせられるのとは意味深い対照をなしている。後者が生の帰趨すべき「答」において相通じそれに殉じたとすれば、前者は永遠にひらかれた「問い」を手形として時の関門を踏み越える、と言ってしまっては牽強付会でしょうか。書き続ける/読み続けるということは、すべての古人が同時代人のように慕わしく、すべての同時代人が古人のように常しなえの存在であると感じられるような、そんな境地に遊ぶことなのかもしれません。
……などと書いてきましたが、しゃちょこばって読まずとも、本作はひとつの伝記マンガとしてじゅうぶんに楽しめるものであることは間違いありません。なんといっても絵のクオリティが高い。コマ割りや吹き出しなんかも読みやすく、プロはだし、というよりこれは完全に商業作品として成立する水準なのでは……と思わされます。そういうところもまた、文フリの奥深さですね。
すっかり堪能したので、今日はここまで。
それではごきげんよう。
石田幸丸(習作派編集部)
2 コメント
冬司
10/28/2019 07:09:47 am

コメント失礼させていただきます。私は夏目漱石、鈴木三重吉、小宮豊隆、森田草平が大好きで、2020年の前橋で行われる文学フリマに参加しようと考えているのですが、三重吉さんてこんな人」・「松根東洋城てこんな人」の再販って、もうしないのでしょうか?
発行から数年経っていることを承知なのですが、素敵な本だな、と思いコメントさせていただきました。

返信
鈴木潤吉
1/23/2020 04:03:19 am

私は鈴木三重吉の孫で鈴木潤吉と申します。「三重吉さんてこんな人」はどうすれば入手もしくは購入できるのでしょうか。ばあらさんの連絡先がわかればお教えください。私にはついては「鈴木潤吉facebook」で検索いただければfacebookに少し情報があります。ではご連絡ください。

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