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StyxSwamp
久湊有起
「筆の海」第四号より
ふざけてんじゃねぇぞ。お前。いい加減にしろ。何度言ったら分かるんだ。ええ。何度言ったら分かるんだって聞いてんだよ。ああ。答えられねぇのか。なんとか言え。返事もろくにできねぇのかお前は。俺言ったよな。お前に言ったよな。次までに直してなかったらただじゃおかねぇって言ったよな、突っ立ってるしか能のねぇゴミが。こっち見ろ。おい。こっち見ろ。お前みたいな低能は言うこと聞くくらいしかできねぇんだから見ろって言われたら見るんだよさっさとしろ。ああ。お前さあ、鏡見たことあるか。なんでそんなだらしのねぇ顔ができるんだ。教えてくれよ。俺がそんな顔だったら恥ずかしくて外出られねぇよ。もう死ねよ。死んでくれ頼むから。お前なんかが死んでも誰も悲しまねぇよ。嫁も子供もその方が助かるだろうな。何が悲しくてゴミと一生暮らさなきゃいけねえんだよ。金じゃねぇよな。俺の三割も稼いでないお前の情けない給料じゃどんな碌でもねぇ女も寄りつかねぇだろうしな。なんだその顔。ええ。ぶち殺すぞ。てめえみたいなクズが俺にそんな顔してなに考えてんだよ。殺したいか。俺を殺したいか。やってみろ。できねぇだろうな。そんな甲斐性あったらもう少しはマシな仕事するだろ。な。なんにもできねぇんだよお前は。クソみたいなお前でも生きてられんだからすげぇよな世の中。でもな、俺だったら今すぐこの窓から飛び降りるね。生きててなんの意味も価値もないんだったらせめて自分で死んでやるよ。金も飯も空気も全部他の役に立つ人間に使ってもらった方がいいからな。聞いてんのか。ボケが。時間の無駄だ。もういい。水持って来い。カスでもそれくらいはできんだろ。おいワープロ。
自分のことを呼ばれたと気づき、画面から顔をあげるとヒノ常務執行役員の薄い後頭部が目に入った。罵声を浴びせ続けられたイケダ課長は足早に役員室を出ていくところだった。常務は窓の外のどこかを睨め付けながらデスクチェアにどっかりと腰を下ろすと、無言で左手を頭の後ろに伸ばし、後方のドア脇に控えている秘書を呼びつける。秘書が掌の上に煙草とライターを置くと乱暴にこちらを向き直り、もういい、出ていけ、と低くくぐもった声で僕に言った。はい、とだけ答え僕はラップトップを閉じ、手元のICレコーダーの録音を終了させた。それをジャケットの内ポケットに入れ立ち上がる。簡素なカーペットの上に常務の投げ付けた紙やペンなどが散乱している。PCを持ち、それらを踏まないよう通常時と早歩きの中間くらいの速さでドアにたどり着くと後ろから声がかかった。振り返る。一文字も間違えるなよ。常務は煙を吐きながら一瞥もせずに言った。はい。再びそう言い、一礼して部屋を出る。去り際、常務が秘書に片付けを命ずる声が聞こえた。閉まるドアの隙間から見えたその女子社員の肩は震えていた。
オフィスは静まりかえっている。キーを叩く音だけが存在を許されているかのようだった。よそ見せず行動予定表のもとに向かい、自分の欄の「役員室 16:00」の文字を消す。右上の時計を見ると十七時三十六分を指していた。三時間以上もあの部屋にいたことになる。時計の下に貼られた大きな模造紙が剥がれかかっていた。床に落ちていたマグネットを拾い、垂れ下がった紙の隅を伸ばすとでかでかとした文字が踊っている。「今月のがんばった大賞」。下の欄には誰の名前も貼られていない。本来ここを埋めるはずの磁気ネームプレートは僕の足元の棚に輪ゴムでまとめられ放り込まれている。
自分のデスクに戻りながら、常務の最後の台詞が「一文字も間違える『なよ』」だったか「一文字も間違える『んじゃねぇぞ』」だったかを思い返す。『ワープロ』である僕は今日の会議、というか常務の独演会のようなものだが、その記録を作成し今日中に提出しなければならない。配属当初、「死んじまえ」という言葉を「死んでしまえ」と書き留めたら終業までオフィスの隅で立たされたことがあったので、この語尾の不明瞭は大きな問題だった。頼みの綱の録音も切ってしまっていた。しかし逆に考えれば一緒に提出する録音データにも含まれていない言葉なので、常務が覚えていないことを祈る方が建設的かもしれなかった。
オフィスの真ん中の通路でイケダ課長に出くわした。ミネラルウォーターのペットボトルを持っている。一文字に結ばれた口元。充血した目は僕を捉えておらず、正面のどこか一点だけを見つめている。僕は目を逸らした。床の継ぎ目を数える方が適切だと感じたからだ。すれ違い様、低い呻き声のような息遣いが微かに聞こえる。ジャケットの袖から覗く手が固く握られているのが見えた。
デスクに着く。椅子はぎっ、と乾いた音を立てる。 僕は長い息を吐く。
吐きながら俯き、目を瞑る。
しばらくして、瞼の裏に小さな光が現れる。ちかちかと戯れるように明滅する光は徐々に増えていく。
イケダ課長のことを考えていた。彼の口元、拳、瞳。光は集まり筋となり、そして細い輪になった。明滅しながら収束するいくつもの光の輪。色も形も定まることがない。
ああ。
《怒り》だ。

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